- ハウルの動く城の伝えたいことは何?
- ハウルの動く城にメッセージはあるの?
- ハウルの動く城を理解したい
- ハウルの動く城をを観たい
- ハウルの動く城を楽しみたい
こちらの記事は、このような方に対して書いています。
本ブログの筆者は映画好きで、4歳から云十年も映画を観ています。もはや何作観たのか分かりません。
もちろん、映画「ハウルの動く城」も視聴しています。
ところで、ハウルの動く城は、ジブリ映画の中でも興行収入の良い作品です。
その一方、本作は難解であるため、宮崎駿監督のメッセージを知りたがる方は、映画公開10年を過ぎた現在でも多いようです。
ハウルの動く城で宮崎駿監督の伝えたいことは、物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事ということです。
これは、本ブログの筆者の考察でも妄想でもありません。
ハウルの動く城の劇中で伝えられているメッセージ、そして宮崎駿監督が言及されている事実です。
そして物事が変わることによって、常日頃、宮崎駿監督がおっしゃっている「この世は生きる価値がある」ということを伝えたいのではないでしょうか?
そのような訳で、こちらの記事ではハウルの動く城の伝えたいことについて解説します。
- ハウルの動く城の伝えたいことは物事を変えるための意志を持つ大切さ
- ハウルの動く城に関する宮崎駿監督の言及
- ソフィーの成長より確認できるハウルの動く城の伝えたいこと
- ハウルの動く城の終盤における書き手の主張
- 物事を変えるには意志が重要ということがハウルの動く城のメッセージ
- 参考文献の紹介
こちらの記事によって、ハウルの動く城を楽しんでいただければ幸いです。
ところで、こちらの記事は一人でも多くの方にハウルの動く城を楽しんでいただきたいという趣旨のものです。
そのためハウルの動く城や閲覧者の方の意見などを否定するものではありません。あしからずご了承下さい。
なお、こちらの記事の内容を引用や参考資料として紹介される場合、必ず筆者に連絡の上、筆者の著作物であることを必ず明示して下さい。
万一、筆者に無断で記事の内容を紹介した場合、法的手段を執らせていただきます。
- ハウルの動く城の伝えたいことは物事を変えるための意志を持つことの大切さ
- ハウルの動く城に関する宮崎駿監督の言及
- ソフィーの成長より確認できるハウルの動く城の伝えたいこと
- ハウルの動く城の終盤における書き手の主張
- 物事を変えるには意志が重要ということがハウルの動く城のメッセージ
- 参考文献
- ハウルの動く城の関連記事
ハウルの動く城の伝えたいことは物事を変えるための意志を持つことの大切さ
ハウルの動く城で宮崎駿監督の伝えたいことは、「物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事」ということです。
これは、3つのことより分かります。
- ハウルの動く城に関する宮崎駿監督の言及
- ソフィーの成長
- ハウルの動く城の終盤における書き手の主張
これらのことよりハウルの動く城を通して、宮崎駿監督は、物事を変えるのは意志を持つことが大事だと言っていると分かります。
ハウルの動く城に関する宮崎駿監督の言及
どうやらハウルの動く城で伝えたいメッセージについて、宮崎駿監督は言及されているようです。
宮崎駿監督は、
”この物語が、ある魔法使いの女の子の物語ではなく、映画を観る誰もが、自分の問題として捉えるように。
つまり、物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事”
といったことから、わざと設定を曖昧にしていたとのこと。
このようにハウルの動く城で伝えたいメッセージについて、宮崎駿監督は言及されているようです。
そして、これは劇中でソフィーの成長を通して提示されています。
ところで、ソフィーの成長について詳しく知りたい方は、下記の見出し「ソフィーの成長より確認できるハウルの動く城の伝えたいこと」をご覧下さい。
ソフィーの成長より確認できるハウルの動く城の伝えたいこと
ハウルの動く城の伝えたいことは、ソフィーの成長より確認できます。
物語の序盤のソフィーは、周囲や自分の見た目等を言い訳にし、自分のことを自分で決めていません。
ところが、呪いによって老婆になったことをきっかけにハウルと行動を共にすることによって、自分のことを自分の意志で決められるようになります。
その結果、ソフィーは自らの意志でハウル達と暮らすのです。
このようにソフィーの成長より、ハウルの動く城の伝えたいことが分かります。
ソフィーの設定
ハウルの動く城の伝えたいことを理解するためには、物語序盤のソフィー(の設定)を知る必要があります。
- 長女だから帽子屋を継いでいる
- 「長女は何をやっても成功しない」と信じ込んでいる
- 自分の容姿(とりわけ赤毛について)に自信がない
- 卑屈で後ろ向きである
- 帽子屋になりたい訳ではない
- 自分のことを自分で決めていない
このように物語序盤のソフィーは周囲や能力のせいにし、自分のことを自分で決めていない女性として描かれています。
このソフィーの設定を知った上で、物語の中心である彼女の成長に何が必要なのかに注目して映画をご覧下さい。
そうすれば、ハウルの動く城の伝えたいことが分かるように映画は作られています。
物語の中心はソフィーの成長
ハウルの動く城序盤のソフィーとレティーのやり取りから、本作のテーマ――物語の中心(核)であるソフィが成長するための課題――が分かります。
- レティー:
- …ねえお姉ちゃん。ほんとに一生あのお店にいるつもりなの?
- ソフィー:
- お父さんが大事にしてたお店だし…、あたし長女だから。
- レティー:
- 違うの!帽子屋に本当になりたいのかってこと!
- ソフィー:
- そりゃあ…
- レティー:
- お姉ちゃん。自分のことは自分で決めなきゃダメよ!
このやり取りの「お姉ちゃん。自分のことは自分で決めなきゃダメよ!」は、ハウルの動く城のテーマです。
三幕構成のルール上、このテーマを提示されたソフィーは、自分のことを自分で決められるようになるためには、何が必要なのかを学ばなければなりません。そして、これが物語の中心となります。
このテーマに注目し、ソフィーの変化を観察すれば、自ずと必要なものが「物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事」ということだと分かります。
これを学んだソフィーは、物語の終盤において、ハウルを助けたいという気持ち(意志)を持ち、行動します。
成長後のソフィーの姿
映画序盤の成長前ソフィーと終盤の成長したソフィーを比べると、ハウルの動く城の伝えたいことが分かるようになっています。
卑屈で後ろ向きだったソフィーは、自らの容姿を気にせずハウルに告白しました。
また若い姿に戻ったソフィーは元の暮らしではなく、ハウル達と暮らすことを選びました。
つまり、自らの意志でソフィーは自分のことを決められるようになったという訳です。
このように映画序盤の成長前ソフィーと終盤の成長したソフィーを比べることによって、ハウルの動く城の伝えたいことが、「物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事」だと分かるようになっています。
ハウルの動く城の終盤における書き手の主張
実を言うと、映画の第三幕で書き手の主張を知ることができます。
以前、アメリカの脚本家で、俳優のウェンデル・ウェルマンは、当時ディズニーのストーリー・アナリストだったピーター・フラッドとディスカッションを重ね、三幕構成について次のようなステップを提案しました。
- 第一幕 - 主人公の主張((最終目的)
- 第二幕 - 主人公に反発する様々な主張
- 第三幕 - 書き手の主張
このような提案を、ウェンデル・ウェルマンは、ピーター・フラッドに提案しています。
その後、この提案は広まり、多くの作品で採用されました。
そして、それはハウルの動く城も例外ではありません。
ハウルの動く城の第三幕は、宮崎駿監督の主張になっています。
- ハウルを助けるために行動するソフィー
- ソフィーとハウルのやり取り
- となりの国の王子の主張
- サリマンではなくソフィーを選ぶヒン
- ハウルと暮らすソフィー
- 戦争のない土地に向かうハウルの動く城
これらによって、ハウルの動く城の第三幕で宮崎駿監督は主張しています。
いずれも「物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事」ということを、宮崎駿監督は主張しているのです。
ハウルを助けるために行動するソフィー
ハウルを助けるために行動するソフィーは、宮崎駿監督の主張です。
物語の終盤、ハウルを助けるためにソフィーは行動します。
その際、周囲や自らの能力を言い訳にしていません。ハウルを助けたい一心――自らの意志――でソフィーは行動します。
このようにハウルを助けるために行動するソフィーは、宮崎駿監督の主張です。
ソフィーとハウルのやり取り
ソフィーとハウルのやり取りは、宮崎駿監督の主張です。
ハウルの動く城の第三幕で、ソフィーとハウルは次のようなやり取りをしています。
- ハウル:
- やあ、こりゃ、ひどい。体が石みたいだ
- ソフィー:
- そうなの。心って重いの。
ハウルの動く城の第三幕には、このようなやり取りがあります。
そして、このやり取りは宮崎駿監督の伝えたいことです。
このやり取りでハウルは、取り戻した心臓の重さによって「体が石みたいに重い」ことを酷いと言っています。
しかし、これは、そのままの意味ではありません。
これは心臓の重さは、はなはだしい――――つまり心臓は重要という意味です(ひどいには「はなはだしい」という意味があり、はなはだしいには「重要」という意味があります)。
このようにハウルの台詞は変換されます。
一方のソフィーは、心臓を心に喩えて返事をしています。
物語序盤のレティーとの会話よりソフィーは、「ハウルが美女の心臓を食べてしまう」というのは「ハウルは美女の心を奪う(ハウル美女は恋をする)」ことだと知りました。
そのことを受けてソフィーは、心臓を心に置き換えたという訳です。
しかし「心って重いの」も、そのままの意味ではありません。
心には、あることをしようとする気持ちや意志という意味があります。
つまり、ハウルの台詞を受けてソフィーは「意志は重要」と言っているのです。
これは「物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事」という宮崎駿監督の主張と一致します。
そのため、ソフィーとハウルのやり取りは、宮崎駿監督の主張という訳です。
となりの国の王子の主張
となりの国の王子の主張は、宮崎駿監督の主張です。
ソフィーとハウルの様子より荒地の魔女は、となりの国の王子にソフィーを諦めるように言います。
ところが、となりの国の王子は「心変わりする」可能性もあるので、いずれソフィーの元に戻って来ることを宣言します。
この周囲に左右されず、自らの意志で物事を決める「となりの国の王子」は、宮崎駿監督の主張です。
サリマンではなくソフィーを選ぶヒン
サリマンではなく、ソフィーを選ぶヒンは、宮崎駿監督の主張です。
映画終盤でサリマンは報告義務を怠ったヒンを「浮気者」と罵ります。これは、ヒンがサリマンではなくソフィーを選んだことを意味しています。
この自らの意志で物事を決めるヒンは、宮崎駿監督の主張です。
ハウルと暮らすソフィー
ハウルと暮らすソフィーは、宮崎駿監督の主張です。
映画序盤のソフィーは、自分で自分のことを決められない女性でした。
ところが、ハウルと行動を共にし「物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事」ということを学んだおかげで、ソフィーは自分で自分のことを決められるようになりました。
その結果が、自分の意志でハウルと暮らすソフィーなのです。
このようにハウルと暮らすソフィーは、宮崎駿監督の主張です。
戦争のない土地に向かうハウルの動く城
戦争のない土地に向かうハウルの動く城は、宮崎駿監督の主張です。
映画のエンディング直前、ハウルの動く城は軍用飛行船と反対の方向へ飛んで行きます。
これは再び戦争が始まったため、戦争のない土地に向かうハウル達を描いたものです。
ハウルの動く城で描かれる戦争は、人々から自らの意志で物事を決めることを奪うものとして描かれていると考えられます。
そんな戦争と反対方向へ(自らの意志で)向かうハウル達は、宮崎駿監督の主張です。
物事を変えるには意志が重要ということがハウルの動く城のメッセージ
こちらの記事では、ハウルの動く城の伝えたいことを紹介しました。
ハウルの動く城で、宮崎駿監督の伝えたいことは「物事を変えるのは、周囲のせいでも能力のせいでもなく、自分自身がどう意志を持つことができるかが大事」ということです。
これは、3つのことより分かります。
- ハウルの動く城に関する宮崎駿監督の言及
- ソフィーの成長
- ハウルの動く城の終盤における書き手の主張
これらのことよりハウルの動く城を通して、宮崎駿監督は、物事を変えるのは意志を持つことが大事だと言っていると分かります。
そして物事が変わることによって、常日頃、宮崎駿監督がおっしゃっている「この世は生きる価値がある」ということも伝えたいのではないでしょうか?
参考文献
本記事の執筆にあたって参考にした文献は、次の通りです。
ハウルの動く城の関連記事
ハウルの動く城の関連記事は次の通りです。