- ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎は過去を変えるの?
- ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎に未来はないの?
- ドラマ「不適切にもほどがある」の考察を読みたい
こちらの記事は、このような方に対して書いています。
ドラマ「不適切にもほどがある」第5話を視聴し筆者も、小川市郎が未来を改変するのか気になりました。
そのような訳で、こちらの記事では、ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎が未来を改変するのか考察します。
- 考察の結論:ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎は未来を改変する可能性大!
- ドラマ「不適切にもほどがある」におけるタイムパラドックス
- ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎が変えるのは過去ではなく未来
- ドラマ「不適切にもほどがある」を見られる動画配信サービス
こちらの記事によって、ドラマ「不適切にもほどがある」を楽しんでいただければ幸いです。
- 考察の結論:ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎は未来を改変する可能性大!
- ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎が変えるのは過去ではなく未来
- ドラマ「不適切にもほどがある」を見られる動画配信サービス
- ドラマ「不適切にもほどがある」の考察まとめ
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考察の結論:ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎は未来を改変する可能性大!
ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎は、未来を改変する可能性は高いと考えられます。
そう考える理由は次の通りです。
- ドラマ「不適切にもほどがある」考察1:予測できるファイナルイメージ
- ドラマ「不適切にもほどがある」考察2:父親が娘のために奔走する話
- ドラマ「不適切にもほどがある」考察3:小川市郎と井上のシーンは伏線
このような理由により、ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎は、未来を改変する可能性は高いと考えられます。
ドラマ「不適切にもほどがある」考察1:予測できるファイナルイメージ
ドラマ「不適切にもほどがある」第1話のオープニングイメージ――小川市郎が娘の純子を起こすシーン――より、次のような本作のファイナルイメージ――最後のシーン――を予想できます。
- 小川市郎が娘の純子に起こされるシーン
- 小川市郎と娘の純子が仲良く暮らしているシーン
- 小川市郎がいないシーン
- 小川順子が仏壇に手を合わせるシーン(市郎の写真がある)
- 小川順子がいないシーン
ドラマ「不適切にもほどがある」第1話のオープニングイメージより、このような本作の最後のシーンを予想できます。
そのため、小川市郎が未来を改変すると考えられるという訳です。
ドラマ「不適切にもほどがある」考察2:父親が娘のために奔走する話
ドラマ「不適切にもほどがある」は、多分「父親が娘のために奔走する話」です。
これは第1話のオープニングイメージより分かります。
そのため、小川市郎が未来を改変すると考えられるという訳です。
ドラマ「不適切にもほどがある」考察3:小川市郎と井上のシーンは伏線
小川市郎と井上のシーンは、小川市郎が未来を改変する伏線だと考えられます。
なぜなら井上の未来が変わったからです。
井上が作文を読んでいる時、彼の将来は未確定でした。
ところが、小川市郎の「がんばれ、井上。おまえならできるよ」という激励によって、井上はタイムマシンを作る人生を選びました。
つまり井上にとって小川市郎の激励は、彼の人生の分岐点だったという訳です。
これは他の登場人物――小川市郎や娘の純子にも言えます。
このことより、小川市郎と井上のシーンは、小川市郎が未来を改変する伏線だと考えられます。
ちなみに第5話の三者面談のシーンも、小川市郎と井上のシーンと同じ意味を有した伏線だと考えられます。
ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎が変えるのは過去ではなく未来
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「ドラえもん」等の時間旅行を扱った作品は多くあり、それらの作品では「過去の出来事を改変するとタイムパラドックスが起きる」ことが描かれています。
そのためネットではドラマ「不適切にもほどがある」において、「娘の純子を助けるために小川市郎が過去を変えてほしいけど、タイムパラドックスが起きてしまう」と心配されている方が多いようです。
確かに小川純子を助けてほしいですよね? 筆者も同じ想いです。
しかしタイムパラドックスは起きない可能性は高いと思われるので安心して下さい。
その理由は次の通りです。
- 未来は不確定である
- 未来に行った小川市郎が戻った過去は未来である
- 過去に戻った小川市郎にとって先程までいた未来は過去である
このような理由により、小川市郎が自らの未来を変えても問題ないという訳です。それぞれの詳細を知りたい方は下記をご覧下さい。
タイムパラドックスが起きない理由1:未来は不確定である
まず未来は不確定です。
ドラマ「不適切にもほどがある」第1話において、井上の未来は小川市郎の「がんばれ、井上。おまえならできるよ」という激励によって決まりました(実際は、タイムマシンを作る人生を選んだだけで、未来が確定した訳ではありません)。
しかし小川市郎に言われるまで、井上の将来は決まっていません。
つまり小川市郎の激励まで、井上の将来は不確定だったという訳です(小川市郎の激励が井上の人生の分岐点になっています)。
このドラマにおいては、これが要になる設定だと考えられます。
▼2024年3月2日追記
不適切にもほどがある第7話の市郎の台詞「まだ最終回が決まっていないなんてさ、最高じゃん」は、先述の未来は不確定であることを裏付けるものです。
タイムパラドックスが起きない理由2:未来に行った小川市郎が戻った過去は未来である
未来に行った小川市郎が「戻った過去」は、小川市郎にとって「未来」です。
2024年から見ると1986年は過去ですが、これは「世界の時間の流れ」であり、「時間旅行をした小川市郎の時間の流れ」ではありません。
未来に行って過去に戻ってきた小川市郎の時間の流れはアルファベットの「Z」のようになっています。
小川市郎は「Z」の始点を1986年から、1つ目の角である2024年まで時間旅行しました。
そして2024年にある「お手洗いの穴」から2つ目の角である1986年まで時間旅行し戻ります。
その後、小川市郎が時間旅行せず1986年にとどまれば、彼の時間の流れは時間旅行前と同じ方向になります(2つ目の角から「Z」の終点まで)。
このように未来に行った小川市郎が「戻った過去」は、小川市郎にとって「未来」ということになります。
タイムパラドックスが起きない理由3:過去に戻った小川市郎にとって先程までいた未来は過去である
過去に戻った小川市郎にとって、先程までいた未来は過去です。
これはアルファベットの「Z」を書き、始点に1986年、1つ目の角に2024年、2つ目の角に1986年’を書いて下さい。
アルファベットの「Z」の書き順より分かる通り、1つ目の角2024年は2つ目の角1986年’の前にあります。つまり1つ目の角は2つ目の角に行くまでの通過点です。
そして、このアルファベットの「Z」の書き順を、小川市郎の時間の流れに置き換え下さい。すると1つ目の角2024年は、2つ目の角1986年’の過去になります。
つまり小川市郎が変えるのは、過去になった2024年ではなく、まだ確定していない彼の未来なので問題ないという訳です。
▼2024年3月2日追記
不適切にもほどがある第6話の純子の台詞「けど今見てる、この景色これが昔話になるんだよね」は、先述の「過去に戻った小川市郎にとって、先程までいた未来は過去である」を裏付けるものです。
ドラマ「不適切にもほどがある」を見られる動画配信サービス
ドラマ「不適切にもほどがある」を視聴できる動画配信サービスは次の通りです。
これらの動画配信サービスで、ドラマ「不適切にもほどがある」を視聴できます。
ドラマ「不適切にもほどがある」の考察まとめ
こちらの記事では、ドラマ「不適切にもほどがある」の考察【小川市郎は過去ではなく未来を改変する!】を紹介しました。
- ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎は未来を改変する可能性大!
- ドラマ「不適切にもほどがある」の小川市郎が変えるのは過去ではなく未来
- ドラマ「不適切にもほどがある」を見られる動画配信サービス
こちらの記事が、きっかけでドラマ「不適切にもほどがある」を楽しむきっかけになれば幸いです。
ドラマ「不適切にもほどがある」考察の関連記事
ドラマ「不適切にもほどがある」考察の関連記事は次の通りです。