- 君が心をくれたからは面白いの?
- 君が心をくれたから第10話のあらすじは?
- 君が心をくれたから第10話の感想を読みたい
こちらの記事は、このような方に対して書いています。
筆者も、ドラマ「君が心をくれたから」第10話を見ました。
そのような訳で、こちらの記事では、君が心をくれたから第10話のあらすじと感想を紹介します。
- 君が心をくれたから第10話のネタバレ考察
- 君が心をくれたから第10話のあらすじ
- 君が心をくれたから第10話の感想
- 君が心をくれたから第10話の見どころ
- 君が心をくれたから最終回の予想
- 君が心をくれたからを視聴できる動画配信サービス
こちらの記事によって、君が心をくれたからを楽しんでいただければ幸いです。
なお、こちらの記事の内容を引用や参考資料として紹介される場合、必ず筆者に連絡の上、筆者の著作物であることを必ず明示して下さい。
万一、筆者に無断で記事の内容を紹介した場合、法的手段を執らせていただきます。
- 君が心をくれたから第10話のネタバレ考察
- 君が心をくれたから第10話のあらすじ
- 君が心をくれたから第10話の感想
- 君が心をくれたから第10話の見どころ
- 君が心をくれたから第11話の予想
- 君が心をくれたからを視聴できる動画配信サービス
- 君が心をくれたから第10話のあらすじと感想まとめ
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君が心をくれたから第10話のネタバレ考察
君が心をくれたから第10話を視聴した時点で、次について考察しました。
- ネタバレ考察1:聴覚を失う3月31日は復活祭
- ネタバレ考察2:忠実に守られた物語のルール
- ネタバレ考察3:許し
君が心をくれたから第10話を視聴した時点で、これらについて考察しました。
ネタバレ考察1:聴覚を失う3月31日は復活祭
逢原雨が聴覚を失うのは、2024年3月31日。
この日はキリスト教の祭日で、〇後3日目にイエス・キリスト様の復活したことをお祝いする日です。
そのため、奇跡が起きる可能性があると考えられます。
逢原雨は五感を失い、まるで〇んだような状態になります。そしてドラマ「君が心をくれたから」は、ずっとキリスト教との関りを示唆していました。
- 大浦天主堂
- 日下の風貌(イエス・キリスト様)
- 奇跡
- 墓地
- 嘘
- 教会式
- 第10話の赦し
これらのことより、最終回で逢原雨が失った五感を取り戻す可能性が考えられるという訳です。
ネタバレ考察2:忠実に守られた物語のルール
君が心をくれたから第10話は、キャンベルの原質神話論という物語のルールを忠実に守って作られていました(こちらのドラマは、キリスト教と深く関わりがあるため、キャンベルの原質神話論を守っているのも不思議ではないのですが)。
- 母親の霞美に会うことが「終局の恵み」になっている
- 望田に感謝する気持ちが「帰還の拒絶」になっている
- 渋滞が「呪的逃走」になっている
- 春陽が助けに来ることが「外界からの救出」になっている
このように第10話は、キャンベルの原質神話論を守っていました。
そのため最終回も、キャンベルの原質神話論を忠実に守ると考えられます。
▼最終回に起きるであろう出来事とキャンベルの原質神話論の関係表
キャンベルのルール | 最終回に起きるであろう出来事 |
---|---|
帰路境界の越境 | 逢原雨が全ての感覚を失う |
二つの世界の導師 | 全ての五感を失うことによって「生きることを諦めなくなった」雨。雨が五感を失うことによって「最後まで諦めなくなった」太陽 |
生きる自由 | 五感を失っても生き続ける逢原雨、彼女の回復を諦めない朝野太陽 |
このようにドラマ「君が心をくれたから」最終回も、キャンベルの原質神話論を忠実に守ると考えられます。
余談ですが、最後の「生きる自由」が曲者なんですよね。
実を言うと、三幕目は作家の主を描く場でもあります。
その三幕目に「生きる自由」があるため、作家によっては「滅茶苦茶えげつない」主張が展開される場合が。
おそらく脚本家の宇山佳祐さんは、生きる自由を「独自の解釈」していると考えられるので、「朝野太陽が新しい奇跡を受ける」や「そもそも太陽は〇んでいるのだから消えてしまい、雨は彼の記憶を全て失う」、あるいは「逢原雨は五感を失ったまま寿命を終え、天国で朝野太陽と再会する」みたいな悲劇的な締めくくり方をするかもしれません。
ネタバレ考察3:許し
ドラマ「君が心をくれたから」第10話は、全てを許す回でした。
- 逢原雨が母を許す
- 千秋が朝野太陽を許す
- 逢原雨が朝野春陽を許す
このようにドラマ「君が心をくれたから」第10話では、逢原雨と千秋が相手の過ちを許しています。
これは、キリスト教における「赦し」です。
聖文は赦しについて二とおりの言い方をしています。 主はわたしたちに罪を悔い改め,赦しを求めるようにと命じられています。 それと同時に,わたしたちを怒らせ,傷つける人々を赦すようにとも命じられています。
引用元:赦し
キリスト教における許しとは、神と人間、そして人間同士の関係の修復を可能にする鍵となる概念です。
イエス・キリスト様は「罪をゆるす」ことを強調し、神と人間の関係を修復し、永遠の命を得るための道として描きました。
そのため、第10話で逢原雨と千秋は相手のことを許すという訳です。
ただ、個人的には第10話における赦しは人間同士の関係を修復するというよりも、存在の危うくなった者――心が神様に近づいたと言う方が良いでしょうか――と人間によるものだと考えています。
君が心をくれたから第10話のあらすじ
君が心をくれたから第10話のあらすじは次の通りです。
逢原雨(永野芽郁)は、朝野太陽(山田裕貴)から嬉しい報告を受ける。桜まつりの花火大会で打ち上げる花火の審査に、合格したのだ。トップバッターが太陽の父・陽平(遠藤憲一)で、太陽の花火はその次だという。大喜びした雨は、どんな花火にしたのかと尋ねた。すると太陽は、当日までのお楽しみ、としながらも、「俺の人生で一番大切だった十秒間かな」と返す。
桜まつり当日。雨は、望田司(白洲迅)に頼み、母・霞美(真飛聖)が入院している病院まで車を出してもらう。やってきた雨が杖をついていることに驚く霞美。雨は、触覚を失い、もうすぐ視覚も失ってしまうことを霞美に打ち明ける。雨のために何もできない、と泣きじゃくる霞美に、「お母さんの笑顔が見たい」と頼む雨。
花火大会の会場では、太陽たち朝野煙火工業の面々が打ち上げの準備を進めていた。離れた場所でその様子を見つめていた千秋(松本若菜)は、美術館で「自分の人生は今日この瞬間のためにあったのかもしれない」と言っていた日下(斎藤工)の言葉を借り、太陽の作った花火を見届けることができたらもう思い残すことはない、と日下に伝える。
雨は、霞美と別れて司とともに花火大会の会場へと向かう。だが会場では、次第に分厚い雲が広がり、強い風が吹き始めていた…。
君が心をくれたから第10話のあらすじは、このような内容です。
そして第10話よりドラマ「君が心をくれたから」は第三幕に突入しました。
そのため最終回に向けて、様々な伏線が回収されたという訳です。
君が心をくれたから第10話の感想
君が心をくれたから第10話の感想は次の通りです。
- 当たってほしくなかった10話の予想
- ご都合主義過ぎる展開(脚本)
- 「私、魔法使いなの」には泣いた
君が心をくれたから第10話を視聴し、このような感想を抱きました。
第10話の感想1:当たってほしくなかった第10話の予想
本ブログの記事「君が心をくれたから第9話のあらすじと感想【奇跡に関する伏線についてネタバレ考察】」で、逢原雨は花火を見ることができないという予想をしていました。
予告動画や公式サイトの第10話のあらすじより、これは容易に予想できるものだったものの当たってほしくないものでした。
しかも千秋を犠牲にしたのに、花火のしかけに不具合を生じさせたり人をぶつからせたりするなんて、脚本家の方の「絶対、雨には花火を見せてやらない」という気持ちが見え透いていました。
だったら千秋を犠牲にしたり、悪天候にしなくても良いのにねえ。
本当に筆者の予想は当たってほしくなかったです。
第10話の感想2:ご都合主義過ぎる展開(脚本)
ドラマ「君が心をくれたから」第10話を視聴して、ご都合主義過ぎる脚本だと思いました。
ご都合主義過ぎると思った点は次の通りです。
- 朝野太陽がケガをする
- 花火の日に母に会いに行く
- 花火の日の天候が崩れる
- 天気を良くするため千秋が犠牲になる
- 消防署の許可がなかなか下りない
- 花火に不具合が生じる
- 雨に人がぶつかる
このような点が、ドラマ「君が心をくれたから」を視聴して、ご都合主義過ぎると思いました。
しかも普通ご都合主義と言えば、主人公に都合の良いことが起こるものですが、本作の第10話の場合は脚本家のために起きるという――いくら製作サイドの味方をしたくても、これは弁護すらできませんね。
脚本としては落第点だと思います。
ただ登場人物の心情を描けている点、キャンベルの原質神話論を忠実に守っている点については100点満点です。
キャンベルの原質神話論を守っている点は次の通りです。
- 母親の霞美に会うことが「終局の恵み」になっている
- 望田に感謝する気持ちが「帰還の拒絶」になっている
- 渋滞が「呪的逃走」になっている
- 春陽が助けに来ることが「外界からの救出」になっている
このようにキャンベルの原質神話論を、ドラマ「君が心をくれたから」第10話は守られていました。
ところで、キャンベルの原質神話論について詳しく知りたい方は、下記のリンク先「ヒーローズ・ジャーニー - Wikipedia」をご覧下さい。
第10話の感想3:「私、魔法使いなの」に泣いた
ただドラマ「君が心をくれたから」第10話の逢原雨の台詞「私、魔法使いなの」には泣きました。
これは第5話「すべて魔法のせいにして」で、祖母の逢原雪乃が言った言葉です。それを雨に言わせるなんて――もう泣くしかないでしょう。
しかも三幕八場における「七場:真のクライマックス」を、母子の和解――逢原親子の問題には賛否あると思いますが――に持ってきているのは上手だと思いました。
ただ、同じ構成になっているドラマ「さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~」第9話の方が、脚本的には100倍くらい上手で、感動的に作られているように感じました。
君が心をくれたから第10話の見どころ
君が心をくれたから第10話の見どころは次の通りです。
- 千秋と太陽の会話
- 逢原雨と母・霞の会話
- 視覚を失う逢原雨
君が心をくれたから第10話には、このような見どころがあります。
君が心をくれたから第11話の予想
君が心にくれたから第10話から第三幕に突入しました。クライマックスの部分です。
そのため第10話では、キャンベルの原質神話論における出来事が忠実に守られていました。
- 母親の霞美に会うことが「終局の恵み」になっている
- 望田に感謝する気持ちが「帰還の拒絶」になっている
- 渋滞が「呪的逃走」になっている
- 春陽が助けに来ることが「外界からの救出」になっている
このようにキャンベルの原質神話論を、ドラマ「君が心をくれたから」第10話は守られていました。
第三幕で描かれていない出来事は「帰路境界の越境」と「二つの世界の導師」、そして「生きる自由」です。
まず「帰路境界の越境」については下記をご覧下さい。
この世ならぬ深層よりもちこまれた恩恵はただちに合理化がほどこされ、とるに足らないものになってしまうため、ことばをあらたにもたらしてくれるもう一人の英雄を待望する声が次第に高まってくる[29]。自己実現を成し遂げた主人公は、自身が自己実現に納得するため、物語の後始末を済ませる意味でも、元の世界へと帰る。
これが「帰路境界の越境」です。
つまり主人公が旅から帰還することが描かれます。ドラマ「君が心をくれたから」の場合、逢原雨が全ての五感を失う様子が描かれるはずです。
次に二つの世界の導師とは、次の通り。
冒険をなしとげて帰還した英雄は、世界の衝撃に耐えて生き残らねばならない。キャンベルは導師を垣間見た英雄は宗教の修行を重ねてきた人々に類似すると考える。
これが二つの世界の導師です。
つまり、この出来事では旅で得た新しい価値を持って帰還した主人公が描かれます。
ドラマ「君が心をくれたから」の場合、全ての五感を失うことによって「生きることを諦めなくなった」雨が描かれるはずです。
そして雨が五感を失うことによって、「最後まで諦めなくなった」太陽が描かれるでしょう。
そして生きる自由は次の通りです。
奇妙な冒険と危険な帰還・越境の後、英雄はその生業が屠殺者であれ、騎手であれ、はたまた王であれ、恐るべき荘厳な『宇宙の法』の自覚した搬送者となる。
つまり、主人公がどのように生きるのか描かれます。ドラマ「君が心をくれたから」の場合、五感を失っても生き続ける逢原雨、彼女の回復を諦めない朝野太陽が描かれるはず―――
▼ここからは最終回の予想
時は流れて2024年12月31日――大晦日。逢原雨を見つけた朝野太陽は「約束の花火」に連れて行くという可能性も考えられます。
ところで、逢原雨が聴覚を失う3月31日は、イエス・キリスト様の復活をお祝いする日です。この日に何かが起きるのでしょうか?
最終回が楽しみですね。
なお最終回と結末の考察について詳しく知りたい方は、下記のリンク先「君が心をくれたからの結末予想考察【最終回に奇跡が起こりハッピーエンドになる可能性はある!】」をご覧下さい。
君が心をくれたからを視聴できる動画配信サービス
君が心をくれたからを視聴できる動画配信サービスは「FOD」と「Tver」の2つです。
君が心をくれたから第10話のあらすじと感想まとめ
こちらの記事では、君が心をくれたから第10話のあらすじと感想【ついてネタバレ考察】を紹介しました。
- 君が心をくれたから第10話のネタバレ考察
- 君が心をくれたから第10話のあらすじ
- 君が心をくれたから第10話の感想
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こちらの記事が、君が心をくれたから楽しむきっかけになれば幸いです。
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君が心をくれたからの関連記事は次の通りです。